ファンの間でも映像化されていないため「幻の物語」として語り継がれているのが、1995年に刊行された海がきこえる 続編アイがあるからです。第1作が高知での高校時代を回想する構造だったのに対し、続編は全編が東京での大学生活を舞台に繰り広げられます。
成城近辺の私大に通う杜崎拓と、津田塾をモデルとする女子大に通う武藤里伽子。二人は東京で再会を果たし、連絡を取り合う関係になりますが、恋人同士としてストレートに結ばれるわけではありません。むしろ、大人の階段を上り始めたことで生じる新たな障壁が二人を阻みます。
続編において重要な鍵を握るのが、拓がアルバイト先の編集プロダクションで出会う少し年上の女性、津村知沙の存在です。知沙は妻子ある男性との不倫関係に苦しんでおり、拓はその相談に乗るうちに、知沙の持つ大人の脆さと危うい魅力に惹かれていきます。一方で、里伽子もまた父親の再婚問題や母親との確執に苦しみ続け、拓に対して感情を素直にぶつけることができず、二人は幾度となくすれ違いを繰り返します。
杜崎拓と武藤里伽子のその後は、決して甘いラブストーリーではありません。嫉妬、依存、大人の男女関係の泥沼を目の当たりにした拓は、自らの未熟さと向き合いながら、知沙との曖昧な関係に終止符を打ちます。そして物語の終盤、里伽子との決定的な対話を経て、互いに傷つけ合いながらも「他者と深く関わる覚悟」を決める姿が描かれます。
タイトルの「アイがあるから」という言葉には、恋愛の「愛」だけでなく、自立した個としての「I(自分)」を確立しなければ他者を愛することはできないという、氷室冴子が遺した痛烈なメッセージが込められています。