演劇の魅力に深く取り憑かれた堺雅人は、本格的に役者の道へ進むことを決意し、1995年・大学3年生の春に早稲田大学を中退します。しかし、相談なしの独断での中退だったため、真面目に勉学に励むことを期待していた両親は激怒。実家から事実上の「勘当」を言い渡され、仕送りが完全に断ち切られる事態に陥りました。
この決断を境に、およそ10年近くに及ぶ過酷な下積み時代のエピソードが始まります。事務所に所属したもののすぐに十分な仕事が入るはずもなく、生活費を稼ぐためにドーナツ店やガードマン、コンビニの店員など様々なアルバイトを掛け持ちする日々が続きました。
特に当時の貧困ぶりを物語る有名な逸話が「道端に生えているタンポポのおひたし」です。所持金が尽きて食べるものに困った際、雑草として生えていたタンポポを摘んで茹で、ポン酢をかけて食いつないだというエピソードは、現在のスマートな姿からは想像もつかない泥臭いリアリティを感じさせます。また、スーパーで配られている試食だけで空腹を満たしたり、電気やガスが止められることも日常茶飯事だったと後に明かしています。