2002年の現役引退後、寺尾は年寄・錣山を襲名。2004年に井筒部屋から独立して東京都江東区に錣山部屋を創設しました。親方としての指導方針は「礼儀作法に厳しく、弟子の個性と自立心を尊重する」という極めて近代的なものでした。
その指導者人生で最も世間の注目を集めたのが、最大の愛弟子である阿炎(あび)政虎との関係性です。長い手足を活かした強烈な突っ張りで瞬く間に幕内上位へ駆け上がった阿炎でしたが、若気の至りによるSNSトラブルや不祥事により、一時は相撲協会から出場停止処分を受け、引退危機に追い込まれました。
その際、錣山親方は世間からの激しい批判を受け止めつつ、部屋で阿炎と一対一で向き合いました。ただ断罪するのではなく、「お前が本当に相撲を愛しているなら、土俵の上で生き直せ」と厳しく諭し、どん底からの再起を支え続けました。処分が明け、幕下から再起した阿炎が2026年九州場所で幕内最高優勝を果たした際、病床の親方に届けられた賜杯は、師弟の絆の結晶そのものでした。
親方の急逝後、錣山部屋の看板と指導理念は、元小結・豊真将である立田川親方が20代錣山を襲名して部屋を継承。阿炎をはじめとする力士たちは、亡き恩師の教えを胸に今日も土俵に上がり続けています。