1945年(昭和20年)8月15日の玉音放送直後、鈴木貫太郎内閣が総辞職。徹底抗戦を叫ぶ陸軍将兵の暴発を防ぎ、整然と停戦協定を結ぶためには、軍部が抗えない権威を持つ皇族を首班に据えるほかないという判断が下された。8月17日、昭和天皇より大命降下を受け、東久邇宮内閣が誕生する。
内閣の使命はただ一つ、「無血での武装解除と終戦処理の完遂」であった。稔彦王は副総理格に近衛文麿、外務大臣に重光葵(のちに吉田茂)を起用。9月2日には東京湾上の米戦艦ミズーリ号で降伏文書の調印を完了させ、国内外に展開していた数百万人の日本軍部隊を反乱なく解体へ導いた。国家解体の危機を乗り切るための「危機管理内閣」として、その任務を迅速に遂行したのである。