金閣寺を建てた人は足利義満!金箔で権力を誇示した! | かっこいい有名人研究所

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金閣寺を建てた人は足利義満!金箔で権力を誇示した! | かっこいい有名人研究所の要点を分かりやすくまとめてご紹介します。

足利義満の建設した金閣寺には、様々な困難がありました。

世界中が驚いた金閣寺の歴史を見てみましょう。

完成した1399年の日本の状況

金閣寺が完成した1399年には、「応永の乱(おうえいのらん)」が起きました。

応永の乱とは、有力守護・大内義弘(おおうちよしひろ)が室町幕府に対して起こした反乱のことをいいます。

これまで絶対的地位を確立してきた足利政権と大内義弘の対抗したのです。

きっかけは、なんと「金閣寺の建設」にありました。

足利義満はこれまで戦うことしかしてこなかった大内義弘に対して、「城作り」を命じます。

大内義弘からすると「え?なんで城作り?」と困惑と同時に自分がするべきではない命令に苛立ちも湧いてきたのです。

しかし、大内義弘の苛立ちは足利義満の計算でした。

足利義満は、どんどん力をつけていく大内義弘が自分の地位を脅かすかもしれないと考えるようになり、いつしか大内義弘を「邪魔者」と考えるようになりました。

そのきっかけが「金閣寺の建設」に繋がったのです。

足利義満の3万の兵に対し、大内義弘は6千の兵で圧倒的に足利義満が有利でしたが、実は大内義弘には考えがありました。

実は、足利満兼(あしかがみつかね)の兵が合流して参戦してくれるはずだったのです。

しかし、足利満兼は上杉謙信の足止めに合い、参戦を断念してしまったのでした。

結果は、足利義満の勝利、大内義弘は自害という最後を迎えたのです。

その後、足利義満の力は国内で最強と言われるほどになりました。

足利義満が住むための家として建てられた

応永の乱のきっかけとなった金閣寺ですが、そもそも金閣寺とは足利義満が自分を最大限表現したカタチなのです。

金閣寺の本来の名前は「鹿園寺」であり、足利義満の別荘として「極楽浄土」を表し建設されました。

黄金に輝きを放つ金閣寺ですが、この「金箔の輝き」は足利義満が自分自身の権力を表現しているとも言われています。

そして、池は日本地図をもとに作り込んでおり、金閣寺から見下ろせるようになっているのです。

足利義満は自分が日本国の頂点であるという思いを込めてこの設計にしたのではないかと言われているのです。

足利義満の死後は遺言により、「寺」にするように書かれていたので、遺言に沿って屋敷ではなく、寺となったのです。

金閣寺は1950年に放火された

実は、私たちの知っている金閣寺は、足利義満が建てた金閣寺ではないのです。

1950年に全焼してしまっていたのです。

当時の見習い曽呂がスプリンクラーが停止している時を狙い、犯行に及んだことがわかっています。

理由は「美しさに対する嫉妬、そして自分の環境は辛いのに金閣という美しい所に来る有閑的な人に対する反感」だったのです。

一言でいうと、「様々な嫉妬が爆発」といったところでしょうか。

放火により、金閣寺だけではなく、足利義満の歴史も燃えてしまったのです。

さらに国宝として登録されていた金閣寺は、この放火により国宝から外されています。

昭和の手仕事により再建されましたが、日本の財産を失ってしまったことは間違いないでしょう。

しかし、昭和の技術によって更なる輝きを放てるように金の厚さを変えたり工夫を凝らせ、いつまでも金閣寺で歴史を学ぶことができるのです。

これからも世界中に日本史の学びを与え続けてくれることでしょう。

池田 達也
Author

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。