秀才として県内屈指の進学校から早稲田大学第一文学部へと進学した息子に対し、父親は官僚や堅実な道を期待していた。だが、堺が選んだのは劇団「東京オレンジ」の看板俳優として舞台に生きる道だった。大学を中退するという独断は、実直な父にとって到底受け入れがたい裏切りと映った。
激怒した父親は仕送りを即座に打ち切り、事実上の絶縁を宣告する。ここから約7年間、実家との連絡は完全に途絶えた。道端のタンポポを口にするほどの極貧生活を送りながら、ドーナツ店でのアルバイトと舞台稽古に明け暮れる日々。父親に頭を下げることだけは決してしなかった堺の意地が、表現への執念を極限まで研ぎ澄ませていった。