サッチャーの外交政策は、常に極端なリスクテイクと隣り合わせだった。1982年のフォークランド紛争勃発時、閣僚の大半や米軍部が武力奪還に難色を示すなか、彼女は地球の反対側への機動部隊派遣を即断した。アルゼンチンの巡洋艦「ヘネラル・ベルグラーノ」撃沈指令は、国際法上の議論を巻き起こしながらも、彼女の「鉄の女」としての地位を決定づけた。
国際政治の舞台において、彼女はロナルド・レーガン米大統領と固い思想的同盟を結び、ソ連に対する軍備増強とイデオロギー戦を主導した。同時に、ミハイル・ゴルバチョフの才能をいち早く見抜き、「彼となら一緒に仕事ができる」と西側首脳として先陣を切って対話を拓いた柔軟性も持っていた。
強硬姿勢とプラグマティズムの絶妙な使い分け。それこそが、超大国の間でイギリスの存在感を何倍にも大きく見せるサッチャー外交の真骨頂だった。