太極旗の成立を巡る歴史には、19世紀末の朝鮮半島が直面した厳しい国際政治の荒波が色濃く影を落としています。太極旗の誕生は、鎖国体制を敷いていた李氏朝鮮が近代国家として国際社会に乗り出すための必然的な外交的要請によるものでした。
1876年の日朝修好条規(江華島事件)以降、欧米列強との通商交渉が本格化する中で、近代国際法上の「主権国家の象徴」としての国旗制定が急務となりました。特に決定的な契機となったのが、1882年5月の米朝修好通商条約締結です。調印式において自国の国旗を持たなかった朝鮮側に対し、清朝の外交顧問であった馬建忠(ばけんちゅう)は、清の国旗「黄龍旗」に類似した青雲龍旗を提案しました。しかし、朝鮮の自主独立を掲げる第26代国王・高宗(コジョン)はこれを拒絶し、古くから王室の文様として使われていた「太極図」を採用した国旗の考案を命じたと記録されています。
同年8月、修信使(外交使節団)として日本へ派遣された朴泳孝(パク・ヨンヒョ)らは、渡航中の英国船「ハイドー号(Swatara号などの記録もあり)」の船内において、英国人船長の助言なども受けながら、高宗の意向を反映した太極図と四卦を組み合わせた旗を試作・完成させました。朴泳孝はこの旗を宿泊先の神戸西村旅館に掲揚し、これが公式に記録された太極旗の国際的な初使用とされています。
翌1883年3月、高宗は正式に王命(王令)を発布し、この太極図と四卦からなる旗を「朝鮮国旗」として公布しました。その後、1897年の大韓帝国樹立、1910年の韓国併合による消滅の危機、日本統治下の独立運動(1919年の三・一運動)での象徴的掲揚を経て、1948年の大韓民国政府樹立時に正式な国旗として法制化され、1949年10月の文教部告示によって現在の正確な縦横比や作図基準が確立されたのです。