正教会において金口イオアン(こんこういおあん)の名で親しまれる彼は、398年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの大主教(総主教)に抜擢されます。しかし、この栄転が彼の人生を激動の渦へと巻き込むことになりました。
当時の宮廷や高位聖職者の間にはびこっていた贅沢と腐敗に対し、ヨハネスは一切の妥協を許しませんでした。大聖堂の説教壇から放たれる彼の言葉は、貧民層や一般信徒には熱狂的な救いとなった半面、贅沢に溺れる貴族階級にとっては耐え難い糾弾となったのです。
「神の宮殿を飾るために貧者を飢えさせるなら、それは信仰ではなく略奪である」――こうした妥協なきメッセージは社会倫理の改革を促しましたが、宮廷内の反発を決定的なものにしていきました。