義経悲劇の地・鎌倉「満福寺」の見どころと腰越状の真実を徹底追跡

義経悲劇の地・鎌倉「満福寺」の見どころと腰越状の真実を徹底追跡

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満福寺の創建は奈良時代の天平16年(744年)、聖武天皇の勅願によって名僧・行基が開山したと伝えられています。真言宗大覚寺派に属し、本尊には行基作とされる薬師如来を祀るなど、相模湾沿岸において極めて長い歴史と高い格式を誇る名刹です。

この寺の名が日本史に刻まれた決定的契機は、元暦2年(1185年)5月の出来事でした。一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで平家一門を壊滅させた源義経は、捕虜となった平宗盛・清宗父子を護送し、凱旋の途につきました。しかし、武家政権の確立を進める兄・頼朝は、朝廷から無断で官位を受けた義経のスタンドプレーを警戒。鎌倉に入る直前の宿場町であった腰越において、義経の入府を断固として拒否しました。

鎌倉の境界線である境川を前に足止めされた義経主従が宿所としたのが、まさにこの満福寺でした。義経一行は約3週間にわたりこの寺にとどまり、頼朝の許しを待ち続けたと記録されています。

斉藤 蓮
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斉藤 蓮

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