フジテレビの歴史を語るうえで避けて通れないのが、創業家である鹿内家による同族支配と、その終焉となった1992年の解任劇です。
鹿内信隆氏は産経新聞社社長、ニッポン放送社長を兼任し、強大なリーダーシップで「フジサンケイグループ」を形成しました。信隆氏が敷いた強権的なピラミッド体制は、長男である鹿内春雄氏へと引き継がれます。春雄氏は天才的なプロデューサー感覚を持ち、自ら現場の若手と酒を酌み交わしながら「楽しくなければテレビじゃない」というスローガンを打ち立てました。この時期に『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』『オールナイトフジ』などが誕生し、硬直化していた放送界に革命を起こしました。
しかし1988年、春雄氏が42歳の若さで急逝。信隆氏は娘婿である鹿内宏明氏(旧姓・佐藤、日本興業銀行出身)を後継者に指名し、グループ議長に就任させました。これが組織内に決定的な亀裂を生むことになります。銀行出身の宏明氏は徹底したコスト管理と人事の刷新を進めましたが、自由闊達な気風を誇っていたフジテレビ制作現場の反発を招きました。
1992年7月、産経新聞社の取締役会において、当時フジテレビ社長であった日枝久氏らが主導し、鹿内宏明議長に対する解任動議が提出されます。賛成多数で動議は可決され、宏明氏は辞任に追い込まれました。日本の財界史において「電光石火のクーデター」と称されるこの政変により、鹿内家の世襲支配は完全に幕を閉じました。
実権を掌握した日枝久氏は、その後2001年までフジテレビ社長、2017年まで会長、さらには持株会社のトップとして通算30年近くにわたりグループの頂点に君臨しました。日枝久氏の影響力は現在どうなっているのか。会長退任後は相談役に退いたものの、メディア界・政財界に太いパイプを持ち、その発言力は社内外で長らく意識され続けました。強固なリーダーシップによる功績の一方で、長期体制が生んだ組織の硬直化が後の低迷の遠因になったという指摘は少なくありません。