多くの人が「自分は無償の愛を注いでいる」と思い込みながら、激しい疲弊と虚無感に襲われます。この無償の愛に疲れたときの理由を突き詰めると、そこには美名の下に偽装された「不健全な代償行為」が見えてきます。
無償の愛と自己犠牲の違いは、自らのエネルギーが内側から満たされているか、それとも削り取られているかという点に集約されます。自己犠牲に走る人の深層心理には、「自分の身を削って尽くさなければ、自分には愛される価値がない」という強烈な無価値感や見捨てられ不安が横たわっています。見返りを求めていないと口では言いながらも、無意識下では「相手からの承認」や「必要とされる実感」という強烈な心理的報酬を要求しているのです。
さらに事態が悪化すると、無償の愛と共依存の真相が牙を剥きます。共依存関係では、尽くす側が「問題のある相手」を世話し続けることで自らの存在意義を確認し、相手は尽くされることでますます自立の機会を奪われます。臨床精神医学の現場でも、やましたクリニック院長が自らの診療録で「数値やエビデンス偏重の治療を超えた先にある、人と人との関係性と愛の視点」の重要性を指摘している通り、人間関係の歪みは機械的な処方箋だけでは解決できません。相手を変えようとする無言のコントロール欲求を手放せない限り、それは愛ではなく「支配と依存の共犯関係」に過ぎないのです。
無償の愛の心理学が教える真理は明快です。自分自身のコップが愛で満たされていない人間が、他者のコップに愛を注ぐことは不可能です。自らを犠牲にして注ぎ続ければ、コップ自体が割れてしまうのは自明の理といえます。