インターネット上の掲示板やSNSでは、「今川義元の首を取った後はパッとしなかったのではないか」という言説が散見されます。しかし、これは明確な誤解です。
新介はその後、名を「毛利良勝」と改め、織田政権の中枢で重要な実務と警護を担い続けました。信長が岐阜城から上洛を果たした際にも側近として随行し、京都の治安維持や要人接待、寺社勢力との折衝などに従事した記録が『信長公記』をはじめとする諸史料に散見されます。
さらに、信長が家督を嫡男・織田信忠に譲ると、信忠付きの宿老・側近として重用されました。組織の最高権力者の後継者を守るポジションに配属されたこと自体、良勝の軍事的実力と忠義心が極めて高く評価されていた証拠です。