菅義偉は、秋田県雄勝町(現・湯沢市)のイチゴ農家に生まれた。豪雪地帯の厳しい自然環境で育った彼は、高校卒業後、家業を継ぐことを望む周囲の声を振り切り、単身上京を決意する。手元にあったのはわずかな路銀と、東京への漠然とした憧れだけだった。
上京後、最初に身を置いたのは東京都板橋区の段ボール工場だった。朝から晩まで機械油と紙粉にまみれる過酷な労働環境。数カ月で工場を離れた青年は、強烈な現実に打ちのめされる。「このまま東京の波に呑まれて人生を終えたくない」。その切迫した焦燥感が、彼を大学進学へと突き動かした。
選んだ道は、働きながら学費を工面できる法政大学法学部の第二部(夜間部)だった。昼間は築地市場の荷運びや新宿の飲食店、警備員などのアルバイトを掛け持ちし、夕方から大学の講義室へ向かう。空手部にも籍を置き、副主将として汗を流した。睡眠時間を削り、生きるために働き、学ぶ。この激動の学生生活こそが、後年の強靭なメンタリティと鋼の体力を育てる土台となった。