インターネット上のレビューやSNS等で見られる『居酒屋兆治』に関する言説の中には、いくつかの事実誤認やミスリードが存在します。ここで代表的な2つの誤解を正しておきましょう。
第一に、「兆治は最後まで初恋相手(さよ)を引きずり、妻をないがしろにしていた冷酷な夫だった」という極端な解釈です。映画の演出上、さよへの未練や切なさが強調されているため、初見では兆治の態度が生煮えに見えることがあります。しかし、作中で兆治が貫いたのは「境界線を越えない誠実さ」でした。もし兆治が感情に任せて札幌へ向かっていれば、夫婦の生活もさよの尊厳も完全に崩壊していたはずです。胸の奥に痛切な想いを秘めつつも、妻・茂子への敬意と生活の責務を果たし続けた点にこそ、本作の真のリアリズムがあります。
第二に、「原作小説と映画はほぼ同じストーリーである」という誤認です。前述の通り、原作の山口瞳が描いたのはあくまで国立という街の風俗と常連客たちの群像劇であり、さよとの恋愛悲劇はエピソードの一部に過ぎませんでした。愛憎劇としてのドラマ性を前面に押し出し、港町・函館の哀愁と融合させたのは、降旗康男監督と脚本の大野靖子による映画的再構築の賜物です。