東海道と中山道を繋ぐ「美濃路」の謎!家康凱旋の歴史と歩き方完全ガイド

東海道と中山道を繋ぐ「美濃路」の謎!家康凱旋の歴史と歩き方完全ガイド

東海道と中山道を繋ぐ「美濃路」の謎!家康凱旋の歴史と歩き方完全ガイドの注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。

美濃路の歴史と由来を語る上で欠かせないのが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いです。天下分け目の決戦を制した徳川家康は、岐阜・大垣を経てこの街道を通り、熱田へと凱旋しました。この劇的な勝利にあやかり、徳川幕府にとって美濃路は極めて縁起の良い「吉例(きちれい)の街道」として位置付けられることになります。

東海道五十七次の宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から中山道の垂井宿(岐阜県不破郡垂井町)を短絡するこのルートは、東海道の難所であった「七里の渡し(熱田〜桑名間の海上路)」の迂回路としても重宝されました。船酔いや荒天による欠航を避ける旅人、さらには厳格なスケジュールを求められる幕府要人にとって、計算が立ちやすい陸路の美濃路は必須の選択肢だったのです。

また、格式の高さを示す象徴的な出来事が朝鮮通信使や琉球使節の通行です。江戸幕府の威信をかけた大外交団や、第14代将軍徳川家茂に嫁いだ和宮の降嫁行列も美濃路を歩行しました。単なる脇街道にとどまらず、公用道路としての威厳を備えていた点が美濃路の大きな特徴です。

山下 哲也
Author

山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。