記紀において「民の竈(かまど)の煙」を眺め、人々の困窮を察して減税を行った伝承で知られる仁徳天皇。しかし、この巨大な墓に真に眠っているのは誰なのかという問いは、いまなお議論が尽きない。
独自取材に応じた古代史研究の専門家は、「出土品や墳丘の形式変化のクロノロジー(年代学)を照らし合わせると、5世紀におけるヤマト王権の王権強化プロセスが色濃く反映されている」と指摘する。陵墓の呼称である百舌鳥耳原中陵という名は、周囲の地に並び立つ他の巨大古墳との関係性を示す重要なキーだ。被葬者の実像をめぐる議論は、単なる人物の特定を超えて、東アジア世界における倭国の外交方針や権威の確立過程を照らし出すレンズとなっている。