なぜ21年も封印?小田和正「この日のこと」誕生秘話と音源化の真相を徹底解説

なぜ21年も封印?小田和正「この日のこと」誕生秘話と音源化の真相を徹底解説

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名曲「この日のこと」が産声を上げた背景には、日本のテレビ音楽史に残る異例のドラマが存在します。発端は2001年12月25日に放送された第1回『クリスマスの約束』でした。当時、TBSの制作プロデューサーであった阿部恒憲氏や服部英司氏らが「小田和正という孤高の表現者を通じて、真に心に届く本物の音楽特番を作りたい」と企画を持ちかけたことからプロジェクトは始動します。

小田自身が抱いた構想は、当時のテレビ界では常識破りのものでした。自ら筆を執り、SMAP、福山雅治、桑田佳祐、宇多田ヒカル、松任谷由実、桜井和寿、山下達郎といったトップアーティスト総勢7組へ直筆の出演依頼状を送付したのです。しかし、所属事務所の壁や過密なスケジュール、アーティスト側の制作スタンスの違いから、結果は全員辞退という厳しい現実に直面しました。

普通であれば番組自体の企画が瓦解しかねない局面において、小田は逃げることを選びませんでした。番組冒頭、小田は送った手紙の全文と、各アーティストから届いた丁寧かつ誠実な断りの返答を、ステージ上で自ら読み上げました。そして「彼らの曲をリスペクトを込めて一人で歌う」という前代未聞のステージに臨んだのです。

その緊迫したステージの幕開けと終幕のために、小田が徹夜を重ねて書き下ろした楽曲こそが「この日のこと」でした。オファーを断られた相手を恨むのではなく、音楽を愛する者同士として同じ空の下に存在している奇跡を讃える――そんな小田の矜持と祈りが、このメロディに凝縮されていたのです。

田中 結衣
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田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。