歴史の頁をめくると、この神社の特異性が浮き彫りになる。創建は推古天皇三十一年(623年)と伝わる。延喜式神名帳にも名を連ねる名神大社であり、主祭神として祀られているのは下照姫命(したてるひめのみこと)と天穂日命(あめのほひのみこと)だ。
伝承によれば、この一帯はかつて荒れ果て、寒さと貧困に喘ぐ里人が行き倒れる過酷な土地だったという。そこに現れた下照姫命は、自ら麻を紡ぎ、機を織り、里人にその技術を授けた。布は衣服となり、厳しい冬を越す鎧となっただけでなく、近隣との交易を支える通貨の役割も果たした。社名の「売布(めふ)」は、布を売る、すなわち布を人々に広く行き渡らせた慈悲の痕跡に他ならない。
武将の戦勝祈願でもなく、貴族の極楽往生のためでもない。名もなき民衆が明日を飢えずに生きるための「技術移転」と「セーフティネットの確立」が、神社の始まりであったという事実。この泥臭いまでの現実主義こそが、いまを生きる人々の胸を打つ。