包囲された南京城内で逃げ場を失った市民を守るため、現地の外国人たちが立ち上げたのが「南京安全区国際委員会」だった。その委員長を務めたのが、ドイツのシーメンス社南京支社支配人でありナチス党員でもあったジョン・ラーベだ。彼らは約4平方キロメートルの国際安全区(セーフティゾーン)を設置し、約20万人以上の難民を保護した。
ラーベが本国への報告と自身の記録のために書き残した膨大な『ラーベ日記』は、1990年代後半に遺族の手によって公開され、世界に衝撃を与えた。ヒトラーへの直訴を試みるほど現地の惨状に心を痛めたラーベの記録には、日本軍による市民への暴行や連行の様子が日付と時間入りで細かく記されている。
同委員会のアメリカ人宣教師マイナー・サール・ベイツや外科医ロバート・ウィルソンらの記録・医療日誌もまた、当時の過酷な医療状況と生々しい被害実態を今に伝える一次史料として、歴史研究の土台を成している。