中山律子氏がボウリングと出会ったのは、決して幼少期からの英才教育によるものではありませんでした。群馬県立前橋女子高等学校を卒業後、東京の事務職として勤務していたOL時代、会社の同僚に誘われてボウリング場へ足を運んだことが運命の転換点となります。驚異的な集中力と運動神経で急速に腕を上げ、アマチュア大会で頭角を現した彼女は、1969年に創設された女子プロボウラー1期生テストに合格(ライセンスNo.17)を果たしました。
当時の中山氏の端正な顔立ちと、凛とした投球フォームは瞬く間に広告代理店の目に留まりました。決定打となったのが、1970年から放送が開始された花王「フェザーシャンプー」のテレビCMです。「さわやか律子さん」というキャッチフレーズとともに流れた映像は、従来のボウリングが持っていた「薄暗い大人の娯楽」というイメージを根底から覆し、健康的でファッショナブルな国民的スポーツへと押し上げる原動力となりました。
若い頃の彼女は、連日連夜のテレビ出演や取材攻勢、各地のボウリング場でのエキシビションマッチに追われ、睡眠時間が3時間を切る過密日程をこなしていました。当時の回顧録でも「移動中のタクシーの中でしか息を抜く場所がなかった」と吐露されているほど、社会現象の中心で壮絶なプレッシャーと戦い続けていたのです。