ここからは、このサティーという恐るべき風習の全貌を見ていきたいと思います。
サティーの成り立ち
サティーという風習がいつごろから始まったのか、今のところ具体的な時期は分かっていません。
そもそも、ヒンドゥー教の経典にサティーの具体的記述はないのです。
ただ、紀元前4世紀ころにはギリシア人による記録が残っているようです。
かなり古い歴史があることがわかりますね。
また、サティーにはインド神話との深い関わりがあるようなのです。
インド神話には、貞淑を証明するために、自ら炎に身を投じた女性が出てきます。
「マハーバーラタ」に登場する女性サティーは、シヴァの妻となりますが、彼女の父・ダクシャはシヴァのことを認めませんでした。
それに心を痛めたサティーは焼身自殺を図ります。
その後、サティーはパールヴァティとして生まれ変わり、再びシヴァの妻となることができたのです。
いかがでしょう。
神話上で焼身自殺をした女性の名前が、風習と同じサティーというのは、単なる偶然にしてはできすぎではないでしょうか?
この逸話が、サティーという風習の根底にある可能性は非常に高いと思います。
サティー禁止法の発令
この忌むべき風習、サティーに、ついに禁止法が発令されます。
17世紀ころ、インドを支配するムガル帝国の人々は、サティーに反対する立場をとっていましたが、完全には禁止しませんでした。
ヒンドゥー教徒からの反乱を恐れたためです。
そのため、説得に応じない女性に限りサティーを許可していたようです。
しかし、18世紀の終盤に、サティーによる死者が急増し、社会問題になりました。
そこで、イギリス植民地時代の1829年、ついにサティー禁止法が発令されます。
以降、サティーの数は減少し、20世紀初頭にはほとんどなくなったそうです。