事件発生後、警察は日本共産党札幌地区委員会委員長であった村上国治を主犯格として逮捕した。しかし、直接の実行犯とされる人物は海外へ逃亡し、最後まで公判の場に姿を現さなかった。物証とされる弾丸の鑑識結果にも多くの不自然な点が指摘され、弁護団は一貫して無実を訴え続けた。
最高裁判所は最終的に村上国治の懲役12年を確定させたが、決定的な直接証拠がないままの有罪判決には強い批判がつきまとった。服役後も村上は無実を主張し続け、再審請求の動きは法曹界や論壇で大きな議論を呼び起こした。証拠捏造の疑いや捜査機関の思惑が絡み合うこの裁判は、日本の刑事司法における巨大な影として残されている。