舛添氏の波乱に満ちた半生を語る上で欠かせないのが、複雑な婚姻歴と家族関係です。舛添氏はこれまでに3度の結婚を経験しています。
1人目の妻は東大助教授時代にフランス留学先で出会ったフランス人女性でしたが、後に離婚。そして1986年に再婚した相手が、当時大蔵省(現・財務省)のキャリア官僚であった片山さつき氏(現・参議院議員)でした。
大蔵省の女性キャリア第1号として脚光を浴びていた片山氏と、新進気鋭の国際政治学者であった舛添氏の結婚は「超エリートカップル」として世間の耳目を集めました。しかし、互いの多忙さや価値観の相違、一部で報じられた激しい気性の衝突などから関係は急速に冷え込み、わずか2年数カ月で別居、1989年に正式に離婚が成立しています。
その後、1996年に現在の妻である雅美氏と3度目の結婚。雅美氏は舛添氏の個人事務所の代表を務めるなど、政治活動から失脚後の苦境に至るまで公私にわたり舛添氏を支え続けてきました。夫妻の間には1男1女が誕生しており、都知事辞任直後の苛烈なメディアスクラムや自宅周辺への取材攻勢に際しても、家族一丸となって耐え忍んだことが自著『都知事失脚』の中でも吐露されています。