1950年代、超人的な闘争心と徹底した行動力で関西の裏社会に突如として現れたのが柳川組だった。その苛烈な武闘派ぶりは瞬く間に噂となり、敵対組織から恐れられる存在となった。そこに目をつけたのが、三代目山口組を率いていた田岡一雄である。田岡の全幅の信頼を獲得した組織は、山口組の直参として傘下に加わることになる。
広域暴力団としての勢力拡大を図る山口組にとって、柳川組はまさに破竹の勢いを象徴する最強の先兵だった。中京、北陸、九州に至るまで、彼らが足を踏み入れた地域では従来の勢力図が次々と塗り替えられていった。一歩も引かない強硬姿勢と圧倒的な組織力。その凄まじさは当時の治安当局をも震撼させ、「殺しの柳川組」の異名は全国に響き渡ったのである。