古い町並みを訪れた観光客が必ず直面するのが、「こって牛のほぼ向かい側に位置する『坂口屋』とどちらに入るべきか」という選択の悩みです。ネット上では「どちらかが本家でどちらかが模倣」「味が全く同じ」といった誤った言説も散見されますが、両者の実態とコンセプトは明確に異なります。
まず歴史的背景として、飛騨高山で最初に「せんべいに乗せた飛騨牛にぎり寿司」を考案したのは、元禄創業の老舗食事処である「坂口屋」です。坂口屋は本来、飛騨の郷土料理や手打ちそばを提供する歴史ある料亭であり、その店先で提供し始めたテイクアウト寿司がブームの火付け役となりました。一方の「飛騨こって牛」は、肉の質と炙り技術、創作的な味付けに特化した専門店として誕生し、圧倒的なオペレーション力とSNS時代の映えをフックに爆発的人気を獲得した新鋭の実力派です。
両者の明確な違いを理解し、旅の目的に応じて使い分けることが肝要です。
- 飛騨こって牛を選ぶべきケース: 極上の霜降り肉のトロける食感を最優先したい方。竹炭塩や軍艦など、多彩な味付けの変化を楽しみたい方。テイクアウトの手軽さを重視する方。
- 坂口屋を選ぶべきケース: 築100年を超える登録有形文化財の重厚な古民家店内で、落ち着いて郷土料理やお蕎麦と一緒に飛騨牛寿司を味わいたい方。クラシックで肉肉しい赤身の旨味をじっくり噛み締めたい方。
また、「テイクアウトの寿司なのに冷めている」というネット上の低評価についても誤解を解く必要があります。飛騨牛寿司は熱々のステーキとは異なり、「人肌のシャリ」と「炙りによって表面の脂のみを溶かしたレア肉」の絶妙な温度バランスで味わうものです。肉全体に熱を通しすぎると良質な不飽和脂肪酸がすべて流れ落ち、肉質が硬化してしまいます。提供される温度こそが、計算され尽くしたプロの火入れの証左です。