大川心平がテレビ業界に足を踏み入れたのは、日本のテレビドラマが黄金期を迎えようとしていた時代だった。当時、多くの若手脚本家が放送局や制作会社の門を叩いていた。大川もその一人だったが、彼を他と区別したのは、人間観察への執念とも言える姿勢だった。
彼は駆け出しの頃、徹底的に現場を歩いた。商店街の店主、工場労働者、学校教師。あらゆる職業の人々と対話し、その生活に耳を傾けた。この地道な取材が、後の作品に息づくリアリティの源泉となる。
初期の作品では、既存の枠組みに沿った脚本を書くことを求められた。しかし大川は次第に、型通りの展開では描けない人間の複雑さに魅了されていく。配給会社や放送局のプロデューサーとの衝突も少なくなかった。妥協を許さない姿勢は、時に「扱いにくい」と評されることもあった。