引退直後から1990年代にかけて、三浦家に対するマスコミの取材攻勢は熾烈を極めました。自宅周辺には連日カメラマンが張り込み、子どもたちの幼稚園や小学校の入学式・運動会にまで望遠レンズが向けられるという、現代の感覚では深刻なプライバシー侵害にあたる事態が頻発していました。
三浦友和さんは著書『相性』や『被写体』の中で、家族の平穏を守るためにメディアと時に激しく衝突し、法的措置も辞さない覚悟で闘い続けた苦悩を赤裸々に告白しています。この過酷な時期を乗り越えられた背景には、夫婦の揺るぎない結束に加え、「国立市民の温かな見守り」がありました。
近隣住民や商店街の人々は、メディアが押し寄せても居場所を教えたり情報を売ったりすることなく、「百恵さんは私たちの街の普通の大切な隣人」として接し続けました。街全体が過度な詮索を拒絶し、自然な敬意を持ってプライベートの境界線(バウンダリー)を守護したことが、百恵さんが40年以上にわたり国立の地で安心して暮らし続けられた決定的な要因と言えます。