初代林家三平が命を落とした1980年、日本はまさに高度経済成長の円熟期を迎えていた。落語協会の幹部としても後進の育成に力を注いでいた最中、54歳という若さでの悲報。直接の死因となった肝硬変は、長年にわたり体を蝕んでいた。昭和の演芸シーンを牽引し続けた彼は、高座だけでなくテレビの生放送や営業活動まで、不眠不休でスケジュールを消化する日々を送っていたという。
酒を愛し、人を愛した三平は、酒席でも常に周囲を楽しませることを忘れなかった。しかし、その旺盛なサービス精神と過密な過労が、少しずつ彼の肝臓を追い詰めていったのである。病気が進行しても高座に立ち続けようとする強いプロ意識が、結果的に発見と治療を遅らせることとなった。