インターネット上の感想やレビューにおいて、本作はしばしば「昭和の古き良きドタバタ人情劇」としてひと括りにされがちです。しかし、映画史的な事実や制作背景を検証すると、意外な盲点が浮かび上がってきます。
第一の誤解は、「寅次郎はいつも一方的に振られて終わり」というイメージです。実際には、マドンナ側が寅次郎に本気で惹かれ、求婚に近い言葉を投げかける局面が何度も存在します。第15作や第29作『寅次郎あじさいの恋』などがその典型例です。寅次郎自身が自分自身の渡世人としての身分や責任を自覚するあまり、肝心なところで身を引いてしまうという、深い自意識の葛藤が描かれています。
第二の盲点は、渥美清という名優が徹底して「車寅次郎」を演じ切るために払った私生活の犠牲です。報道陣や関係者の証言によると、渥美清はプライベートな素顔を決して公に明かさず、自宅の住所すら共演者に隠し通したといいます。徹底したプロ意識と孤高の美学があったからこそ、50作にわたり破綻することなく国民的キャラクターを守り続けることができたのです。