世田谷の土地史を紐解くと、中世から近世にかけてこの地を開墾し、村落を差配してきた有力な豪農や土豪の存在に行き当たります。地元で「三大地主」あるいは名家として語り継がれる家々の名字には、明確な歴史的背景が存在します。
最も広く知られているのが大場家(おおばけ)です。大場家は中世世田谷城主であった吉良氏の重臣をルーツとし、江戸時代には代々「世田谷代官」を務めた名門中の名門です。世田谷1丁目に残る「世田谷代官屋敷」は国の重要文化財に指定されており、毎年冬に開催される伝統行事「世田谷ボロ市」の差配役としても長い歴史を誇ります。
もう一つの代表格が榎本家(えのもとけ)です。深沢や等々力、用賀周辺をはじめとする世田谷中南部に広大な農地や山林を所有していた旧家であり、現在でも区内各地の月極駐車場や商業ビル、賃貸マンションのオーナー名義にその名を見ることができます。地域住民の間では「深沢周辺の土地を歩けば榎本家の土地に当たる」と語られるほどの規模を誇ってきました。
三大地主の三番目については、地域や文脈によって複数の名字が挙げられます。玉川・等々力方面で圧倒的な土地を誇った長崎家、烏山や砧方面にルーツを持つ宍戸家や粕谷家、喜多見エリアの旧家である喜多見家などです。東京の大地主苗字一覧を見渡しても、これらの名字は武蔵国荏原郡・多摩郡の開拓史と密接に結びついており、単なる投機的な富裕層とは一線を画す歴史的重みを持っています。