電気ブランを語る上で欠かせないのが、創業者・神谷伝兵衛(かみや でんべえ)の波乱万丈な生涯と、この場所を愛した文豪たちの足跡です。
三河国(現在の愛知県)に生まれた伝兵衛は、青年期に病に倒れた際、医師から勧められた滋養強壮のための洋酒(葡萄酒)に命を救われた経験から洋酒の製造・普及を志しました。明治13年、浅草に濁酒を扱う「みかはや銘酒店」を開業。当時、洋酒は庶民にとって手の届かない超高級品でしたが、伝兵衛は「日本人の手で、庶民が日常的に楽しめる本物の洋酒を造りたい」という強固な信念のもと、自ら蒸留技術を研究し、明治15年に電気ブランデーの原型を完成させました。その後、茨城県牛久に本格的なワイン醸造場「牛久シャトー」を築き上げるなど、日本の酒類産業に不滅の足跡を刻んでいます。
浅草の神谷バーは、階級を問わずあらゆる人々が肩を並べてグラスを交わす社交場へと発展しました。この下町のサロンに強く惹きつけられたのが、近代日本文学を代表する文豪たちです。中でも太宰治は、代表作『人間失格』の中で電気ブランへの深い愛着を次のように書き残しています。
「どうしても早く酔ひたくて、電氣ブランをすするやうに呑んでゐるうちに……」
主人公・大庭葉蔵の自暴自棄な心理描写の中に登場する電気ブランは、昭和初期の若者たちが抱える焦燥感や孤独を包み込む、安らぎと退廃の象徴として描かれました。太宰のみならず、林芙美子、坂口安吾、萩原朔太郎、さらに現代では森見登美彦の小説(『夜は短し歩けよ乙女』に登場する偽電気ブラン)に至るまで、電気ブランは時代を超えて創作者たちのインスピレーションを刺激し続けています。大理石のテーブルにグラスを置くとき、現代の私たちもまた、近代文学の巨匠たちと同じ琥珀色の夢を共有しているのです。