シアンクレールと高野悦子をめぐっては、インターネット上で長年語られがちな「誤解」が存在します。その最たるものが、「シアンクレールは学生運動の過激派たちがアジトとして使っていた政治喫茶だったのではないか」という俗説です。
一次資料である日記の記述および当時の関係者の回想録を検証すると、この言説が明白な誤りであることが分かります。確かに当時の荒神口一帯はヘルメット姿の学生が行き交い、アジテーションの声が響く政治的緊張の高いエリアでした。しかし、シアンクレールはそうした政治闘争の喧騒を最も嫌った場所でした。店主の桂木氏は、店内での大声での政治談議やシュプレヒコールを好まず、あくまで「純粋にクラシック音楽と個人の思索に浸るための空間」としての規律を厳格に保っていました。
高野悦子自身も、活動家としての自分と、孤独に怯える一人の女性としての自分の激しい乖離に苦しんでいました。彼女にとってシアンクレールは、政治的な主義主張を叫ぶ場ではなく、むしろ社会的な役割や運動の重圧から解放され、生身の自分を取り戻すための聖域だったのです。「過激な活動家の遺言」として本作を捉えるネット上の短絡的な見方は、彼女がシアンクレールで流した孤独な涙の本質を見落とすことになります。