近年の奈良・明日香村周辺での発掘調査は、これら二大書物が書かれた時代の緊迫した国際情勢をリアルに物語っている。7世紀末から8世紀初頭にかけて、日本は白村江の戦いでの敗戦を経て、唐という超大国の脅威に常に晒されていた。
『日本書紀』が異常なほど中国風の体裁(編年体)にこだわり、自国の歴史を誇張してでも「対等」に見せようとした背景には、国家存亡の危機感があった。考古学的な遺物の分析からも、当時の宮廷がどれほど必死に「国際基準」に合わせようとしていたかが浮き彫りになっている。歴史書とは、単なる過去の記録ではなく、その時代の政治的サバイバルツールだったのだ。