武家社会において、家の途絶は家門の破滅を意味した。そのため、側室や妾を抱えることは単なる個人的な嗜好ではなく、組織の存続を賭けた極めて切実な政治的課題であった。天下を平定した徳川家康も多くの側室を迎え、多くの子孫を残すことで徳川将軍家の基盤を盤石なものにした歴史は有名だ。
将軍の居住空間であり政治の舞台裏でもあった大奥は、そうした継承システムが高度に制度化された象徴といえる。身分制度が厳格であった江戸時代において、妾や側室として召し立てられることは、実家にとっても階級の上昇や経済的恩恵をもたらす機会であり、一定の社会的敬意を伴う公式な役割を果たしていた。