公衆衛生の現場は、普段は目立たない。社会が平穏に機能している限り、保健所の活動が大きく報じられることは稀である。しかし、ひとたび感染症の嵐が吹き荒れれば、そこは命の選別すら迫られる最前線へと変貌する。
前田秀雄は長年にわたり、自治体における公衆衛生医師としてキャリアを重ねてきた。単なる書類上の管理職ではない。臨床の感覚を保持しつつ、行政という巨大な機構をいかに動かすか熟知した稀有な存在であった。
2020年初頭、新型コロナウイルスが日本に上陸した直後から、保健所の業務量は爆発的に増加した。疫学調査、濃厚接触者の特定、入院調整、PCR検査の手配。保健所職員は連日連夜の過密労働に追われ、疲弊は限界に達していた。前田はこの局面で、業務の峻別とシステム化の重要性をいち早く見抜いていた。従来のやり方に固執すれば組織全体が共倒れする。必要なのは、限定されたリソースをどこに集中させるかという冷徹な優先順位の決定であった。