鶴田浩二さんは家庭内において、絵に描いたような「昭和の厳父」でした。礼儀作法や言葉遣い、立ち居振る舞いには一切の妥協を許さず、娘たちを厳格に育て上げたといいます。
テレビの回顧特番や手記で語られたエピソードによると、鶴田さやかさんが芸能界へ進む際、父は怒りを露わにし、長期間にわたって口をきかない時期があったと明かされています。しかしその厳しさは、自らが戦争を経験し、映画界の熾烈な競争を生き抜いてきたからこその「過酷な世界から娘を守りたい」という深い親心から来るものでした。
1987年に鶴田浩二さんが肺癌のため62歳の若さでこの世を去る直前、病床でさやかさんの活躍を気遣い、静かにエールを送っていたというエピソードはファンの間でも有名です。父の死後、さやかさんは「父の名に恥じない表現者になる」という覚悟を胸に、血のにじむようなレッスンを重ねて演技と歌唱を磨き上げました。SNSや往年の映画ファンの間でも「父の美意識を受け継ぎながら、媚びない姿勢が素晴らしい」と高い共感を集めています。