1986年、ヒロミさんはお笑い芸人で芸能界入りを果たします。
そこらの活躍は、芸人だけにとどまらず、MCの番組や冠番組を任される程の人気者になっていきます。
更には、若手芸人の立場であるにもかかわらず、大物芸能人にも容赦ない言動で強烈なツッコミを行うスタイルで注目を浴びてきました。
そんな大胆な芸風のお笑い芸人になったきっかけを調べてみました。
①事故で生死をさまよった
ヒロミさんが、元暴走族だったということは有名です。
当時インタビューを受けた週刊誌には九死に一生をえた交通事故について語られていました。
暴走族とは、1970年から1980年代にかけて大きく社会問題化。
オートバイを乗り回し、騒音をまき散らしたり無謀な運転をしたりして交通の危険を生じさせる行為を行う集団と示されています。
ヒロミさんは、中・高校時代は暴走族「八王子スペクター」の一員として、八王子を拠点に活動していました。
もともとは、ヒロミさんの兄が不良だった影響を受け、高校生になると夜ごとバイクを乗り回す日々をおくります。
②母親から言われた言葉で決意
青春時代を暴走族として謳歌していたヒロミさんは、18歳の時友人2人を乗せ時速130キロで走行。
当時雨降る山道でコントロールを失い、スピン。
ガードレールの向こう側、3メートル下の田んぼに突っ込んだとヒロミさんの著書にあります。
結果、一緒に乗っていた二人は足の骨折で済んだようでしたが、ヒロミさんは内臓破裂の重体で緊急搬送され、家族は医者から諦めるよう言われたとか。
それでも、家族は手術を懇願。
それから長時間に及ぶ難しい手術を受け、奇跡的に一命をとりとめたそうです。
大事故で生死の境をさまよったヒロミさんは、母親から「あなたは長生きできないかもしれないから、好きな事をしなさい」と言われ、自身も「好きなことをしよう」と決めたといいます。
③自分でもやれると確信した
入院中はゆっくりテレビを観る機会が多くあるので、大御所の芸人さんがテレビでしゃべっているのを見て「本当に面白いな」と普段観ることがなかったバラエティー番組を楽しんでいたそうです。
そして「俺もテレビに出してもらえればしゃべれるのに」なんて素人ながらに思っていたそうです。
その時に、自分でもやれると確信し、お笑い芸人になる事を決意したと話されています。