インターネット上の検索窓で片山さつき氏の名前を打ち込むと、真っ先に浮上するのが「東大首席」というキーワードです。この伝説的な学歴はどこまでが真実で、どこからが脚色なのでしょうか。
片山さつきの学歴を辿ると、東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1978年に東京大学法学部(文科一類)へ進学しています。高校時代から模試で全国トップクラスの成績を叩き出していた神童ぶりは、当時の同級生や受験関係者の間でも語り草となっていました。大学在学中の1980年には大学3年生で難関の司法試験に合格し、翌年には国家公務員上級甲種試験(法律職)にも上位合格を果たしています。
では、なぜ「東大首席」と呼ばれるようになったのか。結論から言えば、東京大学法学部には公式に「首席」という称号を与える表彰制度は存在しません。しかし、司法試験と国家公務員試験を在学中に極めて上位の席次で突破し、卒業時の成績も抜群であった事実が、後のメディア報道や政界進出時のキャッチコピーとして「東大首席クラス」から「東大首席卒業」へと変容し、世間に定着したのが実情です。さらに、東大在学中には学園祭のミスコンテストで注目を集めるなど、才色兼備の象徴として若い頃から衆目を集める存在でした。
1982年、大学卒業とともに大蔵省(現・財務省)へ入省します。当時の霞が関、とりわけ「官庁の中の官庁」と恐れられた大蔵省は、徹夜勤務や過酷な国会待機が当たり前の猛烈な男社会でした。その門戸を女性事務官キャリアとして初めて突破したのが片山氏です。
当時の報道や自著『ブレない安心』などの手記によると、省内では「女性に主計局の激務が耐えられるのか」という冷ややかな視線や公然たる偏見が渦巻いていたと明かされています。片山氏はそれらを圧倒的な事務処理能力と政策立案力でねじ伏せ、1984年にはフランス国立行政学院(ENA)へ留学。帰国後は横浜税関総務部長、そして女性として史上初となる主計局主計官(防衛担当)に抜擢されるなど、前例のない出世街道を突き進みました。この片山さつきの官僚時代に培われた緻密な数字の読解力と予算査定のノウハウが、後の政治家としての骨格を形作ることになります。