明治維新という体制変革の荒波が押し寄せた際、住友は屋台骨を揺るがす深刻な経営危機に直面していた。四国の峻険な山中に位置する別子銅山の産銅量激減と経営難である。この未曾有の窮地を救ったのが、初代総理人に就任した広瀬宰平だった。広瀬は旧態依然とした採掘手法を大胆に捨て去り、巨額の資金を投じてフランス人技師ラロークを招聘。欧米の最先端土木技術と蒸気動力を導入する「別子銅山近代化プロジェクト」を決行した。
守旧派からの猛反発を押し切って敷設された鉱山鉄道は、険しい山肌を駆け抜け、日本の近代産業革命を象徴する金字塔となった。煙害問題という初期の環境課題に対する真摯な取り組みも含め、広瀬の下で推進されたこの大事業は、単なる資源開発を超えた「地域社会と共生する重工業化」の先駆的モデルケースとして今なお語り継がれている。