日本の蕎麦文化の頂点に君臨するのが、いわゆる「江戸三大蕎麦」と称される藪(やぶ)・砂場(すなば)・更科(さらしな)の三系統である。それぞれが誕生した時代背景、立地、そして主要な客層によって、蕎麦の打ち方からつゆの味覚設計に至るまで明確な個性を確立してきた。
更科の歴史は、寛政元年(1789年)、信州の布商であった堀井清助(初代布屋太兵衛)が、領主であった信州高遠藩主・保科正寿公の勧めを受けて江戸麻布長坂町に開業した「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」に端を発する。「更科」の名は、信州の名所「更級(さらしな)」と、保科家の「科」の字を賜ったことに由来する。麻布という大名屋敷が立ち並ぶ格式高い土地柄、更科は尾張徳川家をはじめとする大名家や宮家への出入りを許され、御用蕎麦屋としての地位を確立していった。
この歴史的背景の違いを理解するために、江戸三大蕎麦の特性を比較した客観的データを以下に整理する。
庶民的な気風から「蕎麦の先を辛いつゆに三分だけ浸けて手繰る」という粋を重んじた藪に対し、貴族社会に愛された更科は、上質のみりんと厳選された醤油で仕込んだ芳醇な甘口つゆをたっぷりと絡めて食すスタイルを推奨した。素材の選定からつゆの糖度設計に至るまで、両者の思想は対極をなしている。