歴史上、前進の勢いに溺れて兵站を蔑ろにした軍隊は、例外なく悲劇的な結末を迎えている。その代表例が、1812年にロシア遠征を試みたナポレオン・ボナパルト率いる大陸軍(グランダルメ)である。
60万人を超える大軍勢でモスクワを目指したナポレオンは、焦土作戦をとるロシア軍の退却と過酷な冬の到来によって補給線を完全に断たれた。寒波と飢餓、チフスの猛威により、生きて祖国へ帰還できた兵士は数万人足らずだったという。弾薬ではなく、パンと外套の欠乏が覇王の帝国を崩壊へと導いた。
同様の過ちは、第二次世界大戦における大日本帝国陸軍にも見られる。太平洋戦争初期の破竹の進撃の裏で、同軍は広大すぎる戦域に対する兵站計画を極端に軽視していた。「輜重兵(輸送部隊)が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」という当時の俗謡が象徴するように、前線の突撃精神ばかりが称揚され、物資輸送と補給路の防衛は二の次にされた。その結果、インパール作戦やガダルカナル島の戦いをはじめとする多くの戦場で、戦闘による死者数を飢餓や病気による戦病死者が大幅に上回るという惨憺たる事態を招いた。