徳川家康がアダムズやヨーステンを重用したのは、単なる珍し物好きだったからではない。ポルトガルやスペインといったカトリック修道士による布教活動と領土的野心に対して、家康は強い警戒感を抱いていた。そこへ現れたのが、プロテスタント国出身で貿易と技術に特化した彼らだった。
家康はアダムズに「三浦按針」の名と将軍直属の旗本という破格の地位を与え、自らの外交顧問に抜擢。ヨーステンにも江戸城近くに屋敷を与えた(現在の「八重洲」の地名は彼の名に由来する)。二人がもたらす世界地図、造船技術、天文航海術は、家康に海外への広い視野を与え、後の朱印船貿易の隆盛へとつながっていく。木像が飾られていた船の残骸から始まった対話が、江戸幕府の初期外交を決定づけたのだ。