第一線で活躍を続けてきた自由民主党の大物議員である野田聖子氏。彼女が歩んだ不妊治療の道のりは、壮絶という言葉以外では語れない。40代半ばから始まった治療は度重なる失敗と途方もない苦悩の連続であり、最終的に彼女は米国での第三者による卵子提供という選択肢を決断することになる。
当時の日本国内では、高齢出産や第三者からの卵子提供に対する倫理的議論が渦巻いていた。自らのキャリアと身体を賭して挑んだ選択は、世論の賛否両論を巻き起こすこととなったが、その生き様は一人の女性の苦闘を描くリアルな政治ノンフィクションとして国民の記憶に深く刻まれた。