夫婦2人だけの問題にとどまらず、家族全体のシステム設計においても希林さんの知恵は際立っていました。一人娘である内田也哉子さんは、幼少期から父の奇行や両親の特殊な関係に悩み、多大な葛藤を抱えて育ったことを自著やインタビューで明かしています。
転機となったのは、1995年に也哉子さんが俳優の本木雅弘さんと結婚した際のことです。希林さんは本木さんに対し、内田家の家名を継ぐ形での婿養子(養子縁組)を提案しました。常識にとらわれない希林さんですが、「内田」というロックンローラーの血筋と看板を社会的にどう着地させるかについては、極めて怜悧な現実感覚を働かせていたのです。
さらに見事だったのが、建設した二世帯住宅の構造です。完全同居ではなく、世帯間の行き来には鍵付きの重いドアが1枚あるだけ。お互いの生活領域を絶対に侵さない物理的配慮を施しました。本木さんは希林さんを「精神的な師」として敬愛しつつも、適度な緊張感を保ち続けました。晩年の希林さんの在宅介護や裕也さんの看取りに至るまで、家族が破綻せずにチームとして機能したのは、希林さんが生前に張り巡らせた「自立を前提とした家族の距離感」があったからに他なりません。