太平洋戦争末期、凄惨を極めた沖縄戦では一般県民を含む20万人以上の尊い命が犠牲となりました。戦後、本土から切り離され米国の施政権下に置かれた沖縄に対し、昭和天皇は深い痛恨の念を抱き続けておられました。全国各地を巡幸された際も、沖縄への訪問だけは主権回復後も含めて実現することが叶いませんでした。
大きな転機となったのは、1987年(昭和62年)の「海邦国体」です。昭和天皇はこの開会式に合わせて初の沖縄ご訪問を強く望まれ、準備が進められていました。しかし、訪問直前の9月に体調を崩され、開腹手術を受けられたことで、医師団の判断によりご訪問は無念の断念を余儀なくされます。
名代として現地へ赴かれた当時の皇太子さま(現在の上皇さま)が代読されたお言葉には、「いつの日にか沖縄を訪ね、戦没者の慰霊と平和への祈りを捧げたい」という切実な想いが刻まれていました。昭和天皇は崩御される直前まで沖縄を気遣い、その悲願は次代の皇室へと固く受け継がれることになります。