公文所の初代別当として組織の舵を取ったのが、明経道(律令学)の家柄出身である大江広元だ。朝廷で培った高度な行政実務能力を持つ広元は、鎌倉幕府の制度設計において欠かせない主導者として暗躍した。武力しか持たない坂東武者に対し、文書による統治という「法と紙の武器」を与えた功績は大きい。
広元は単なる事務方に留まらず、頼朝の側近として政権構想の深層に関与した。全国への守護・地頭の設置進言など、幕府の骨格を成す重要施策の多くに彼の知恵が働いている。華々しい合戦の陰で、京都出身の官僚たちが振るった筆先こそが、頼朝政権の背骨を形作った。