敦賀港が「人道の港」と呼ばれる背景には、20世紀前半に起きた2つの大規模な人道支援の歴史が存在します。いずれも国家間の思惑を超え、現場の決断と地域住民の善意によって人命が救われた決定的な出来事でした。
第1の奇跡は、1920(大正9)年から1922年にかけて行われた「ポーランド孤児救済」です。ロシア革命後の内戦によって混乱を極めたシベリアの大地に、飢えと極寒で命の危機に瀕していたポーランド人の孤児たちが取り残されていました。日本赤十字社は救済要請を受け、ウラジオストクから敦賀港へ合計765名の孤児を船で輸送しました。港に降り立った子どもたちは極度の栄養失調と腸チフスなどの病に侵されていましたが、敦賀の人々は宿舎を提供し、果物や菓子を差し入れ、懸命に看護に当たりました。
第2の奇跡は、1940(昭和15)年の第二次世界大戦下における「ユダヤ人難民の受け入れ」です。ナチス・ドイツの激しい迫害から逃れるため、リトアニア・カウナスの日本領事館に押し寄せたユダヤ系避難民に対し、領事代理・杉原千畝(すぎはら ちうね)は外務省の訓令に反して約2,139通もの通過ビザ(いわゆる「命のビザ」)を発給しました。シベリア鉄道を経由してウラジオストクから天草丸に乗船した難民たちが、日本本土で最初に踏みしめた大地こそが敦賀港でした。
極度の疲労と恐怖に怯える異国の難民に対し、当時の敦賀町民は偏見を持つことなく銭湯を無料開放し、リンゴやパンを配り、温かい眼差しで迎え入れました。この草の根の温情こそが、敦賀が世界中から人道の港として称賛される所以です。