秀吉の死後、江戸幕府を開いた徳川家康も当初は貿易の利益を重視して黙認姿勢をとっていましたが、1612年の直轄領禁教令、そして1614年の全国禁教令によって完全な弾圧へと舵を切りました。
背景にあったのは、布教活動を伴わないオランダ(プロテスタント)やイギリスとの通商ルートが確立し、カトリック国であるポルトガルやスペインに依存する必要がなくなったことです。さらに幕府内での汚職事件(岡本大八事件)にキリシタン大名が関与していたことも決定打となりました。
幕府は絵踏や宗門改めを導入し、徹底的な信徒狩りを敢行。1637年に勃発した「島原の乱」では、過酷な年貢の取り立てと宗教弾圧に耐えかねた天草四郎率いる約3万7000人の信徒・農民が原城に籠城し、幕府軍によって壊滅させられました。この乱を経て日本は完全な鎖国体制へと突入し、生き残った信徒たちは表向き仏教徒を装いながら信仰を密かに受け継ぐ「潜伏キリシタン」となって歴史の地下深くへと潜っていきました。