カリスマ読者モデルとして君臨していた押切もえですが、20歳を迎える頃、キャリアの大きな岐路に立たされます。ティーンカルチャーの寿命は短く、後輩ギャルが次々と台頭するなかで、「このままギャルを続けていて、20代以降のモデルとして生きていけるのか」という深刻な葛藤に直面したのです。
そこで彼女が決断したのが、当時としては極めて異例だった「脱ギャル」でした。目指したのは、小学館が発行する王道赤文字系雑誌の最高峰『CanCam』。しかし、当時のCanCamは上品なお嬢様スタイルや清楚なコンサバファッションの聖域であり、渋谷カルチャーを背負った元黒ギャルが参入することなど、業界の常識では完全に「門前払い」のタブーとされていました。
関係者の証言や当時の取材記録によると、CanCam専属モデルへの挑戦は、血のにじむような自己解体の連続でした。日焼けサロン通いを完全に断ち切り、数年間かけて過酷な美白ケアを徹底。肌のターンオーバーを促す徹底的なスキンケア、髪色を清楚なダークブラウンへ戻すカラーリング、さらにはギャル特有の立ち居振る舞いやポージング、表情の作り方に至るまで、すべてを基礎から叩き直す日々が続きました。
当初は読者アンケートでも厳しい評価を受け、撮影現場で衣装を着こなせず涙を呑む屈辱を味わったと本人は明かしています。しかし、読者アンケートの隅々まで目を通し、同世代の女子大生やOLが「今、本当に着たい服」を徹底研究する泥臭い努力によって、徐々に読者の共感を獲得。2000年代初頭、彼女はついにCanCamの看板モデルとしての地位を確立することになります。